| 2 病魔は何年も前から |
| 「ゴルフをやめよう。これだけやったら、もう充分だ」八八年、私は念願の賞金女王を獲り、ゴルフをやめる決心をした。 当時の私はプロ入り十六年目、三十九歳。現役でツアーを戦えるのはせいぜい四十二〜四十三歳までだろうと思っていたときだったから、賞金女王を獲ったことは引きぎわを考える大きなきっかけになった。私たちの年代の選手は何をするにも前例が少なかった。さまざまな経験をしながら手探りで女子プロゴルフ界をリードしてきて、今度はプロとしての終着駅をどこにするか手探りを始めていた。 オフになると取材が続き、そのたびに同じことを聞かれた。「来シーズンも当然、賞金女王を狙うんでしょう?」「頑張ります。でも、今年は海外のトーナメントにも積極的に出たい」わたしも同じ答えをもっともらしく繰り返したが、気持はさっぱり伴っていなかったのだ。 実はこの頃から私は体調の異変を感じていた。病気の性質からいって、いつ、どこで、どんな痛みを感じて発見につながったか、などは自分でもわからない。病魔はじわりじわりと私の体を蝕んでいき、気がついた時はかなりのダメージを受けていたように思う。これが進行の遅い甲状腺がんの特徴だといわれている。 私には、なぜか「欲深くて執着心の強い人」のイメージがあるようだが、自分では何ごとにもあっさりしていると思っている。とくに結果に対してはほとんど無頓着といっていい。 たとえば、試合に優勝すれば嬉しい。ガッツポーズをとり、トロフィーを頭上にかかげ、カメラに向かって手を振ったりする。でも、その喜びは表彰式やパーティーまででおしまいだ。いつまでも余韻に浸ることはなく、コースを一歩出たら、もう次の試合や目標について考えている。 賞金女王になったときも同じだった。目標が大きかったぶん究極の自己満足を味わったけれど、やはり喜びは長くは残らなかった。周りの人が「賞金女王の吉川プロ」と評価してくれても、私には一度クリアしてしまったことは結果の一つに過ぎないと冷めた部分があった。私には、次にやるべきことがあるはずだから・・・・・・。 ところが、あの時はいつまでたっても次の目標が思い浮かばないどころか、完全に気力を失っていた。その原因は、頂点をきわめる過程で燃え尽きたことにある。もっと価値のある目標や新しい目標を考えつかないなら、ツアーを続ける意味はないと思ってしまったのだろう。 当時所属していた京セラから、「どこかのホテルで賞金女王のパーティーを開きましょう」と言っていただいたのも、同じ理由で辞してしまった。 このように私が燃え尽きてしまったのは、体の変調が下地にあったからだ。以前の私はだらだらと過ごすことが大嫌いで、とにかく考える前に体を動かしていた。それなのに、このオフは何もする気が起こらなかった。はじめは休養をたっぷりとったり、いろいろな気分転換を取り入れたりしてみたが、リフレッシュするところか全てがおっくうになった。何せいつも体がだるくて仕方がない。あの倦怠感は独特のものだった。 たとえば、猛暑のゴルフで水分をとりすぎ、上がり三ホールくらいになって歩くのが辛くなった経験をもつ方は少なくないだろう。水分がビールだったりゴルフコースが上りばかりだったら足は前に出なくなってしまうが、私のだるさは、そういう感じの重たさを想像していただければわかりやすい。ただそれと違うのは、私の場合はラウンド後にお風呂やサウナに入っても、だるさが全然とれないことだった。 そのために外へ出るのが面倒になり、仕事がない日は家でごろごろすることが多くなった。オフだというのに、毎年恒例のトレーニングや合宿や打ちこみもせずに八九年のシーズンインを迎えてしまった。 ツアーが始まると、私は京都と東京との二重生活を送るようになった。 試合は年間を通して関東近辺で行われるものが多いので、トーナメント」の間にとる休みは、大部分を東京のマンションで過ごすようになった。やはり東京はツアーの拠点としては便利だ。移動が楽だし、試合以外の仕事もしやすく、ゴルフに打ち込みやすい環境だった。 だが半面、東京は住むところではないな、と思う気持もあった。京都へ戻る時は「やっと家へ帰れる」と安心感がわいて心身ともにゆったりできるのに、東京だとマンションは仕事の延長にあうようで「家へ帰る」とは思えなかった。気どった町という先入観があるせいか、気軽な気持で地元になじめなかったのも影響している。転戦中に泊まっているビジネスホテルに戻るのと大差はなく、いつも長期出張に出ているような気がしたものだ。久しぶりにドアを開けるときに流れ出す空気は、たまらなく嫌な匂いがした。 京都で一人暮らしをしていた時はにぎやかな友人がたくさんいた。一人でもふらりと入っていけるなじみのお店もあった。でも、なぜか東京では遠慮してしまう。 たまに誰とも食事の約束をしていないときは一人で外食するのだが、日曜日の夕飯どきはどこへ行っても家族連ればかりでお店が混んでいる。どうしようかなと思っているうちに出かけるのが面倒になり、つい簡単に済ませてしまうこともあった。プロスポーツ選手にとって、バランスのよい食事をとることは日常生活の基本だし仕事のひとつでもあるのに、それをいい加減にしてしまったことは反省している。 そんなある日、ふと窓の外へ目をやるとベランダの手すりが目の前に迫った。私にはその手すりが柵に見えた。あ、私は柵に閉じ込められているのと同じなんだ。そう思うとマンションの部屋がとつぜん息苦しい空間になった。自分の部屋にいても、なんとなくイライラしたり滅入ったりして落ち着かない。 私のこころと体には、常にトラブルが起こっていた。とくに体温のバランスが崩れてしまい、カーッとのぼせたかと思うと、夏でも急に手足が冷えてしまうのには悩まされた。これが体の中でしょっちゅう繰り返されるのだからたまらない。 それに併せてヒステリックになったり暗く思い詰めたりして、感情のコントロールがきかない状態になっていた。だいぶ後になって、これらは甲状腺機能障害にも大きく関連する症状だと医師から聞かされた。でも、当時の私にそんな知識はなかったから、なぜそうなるのかもわからず、自分自身に振りまわされていたのだ。 しかし、他の人には私の状態はわからない。私は誰にも体のことを愚痴らず、打ち明けず、今まで通りツアーを続けた。おそらく周りの人には、「この頃の吉川さんはヒステリーっぽくて近寄りにくい。それに前よりも練習、練習と言わなくなったみたい」 としか映らなかっただろう。 そんな状態で夏を迎えた。相変わらずゴルフに対する気力はわいてこない、やめるという決心も曖昧になっていた。そこで、以前から親しくしていただいているワコールの塚本能交社長に相談した。 「私、ゴルフをやめようかなと思って・・・・・・」「やめてどうするの?」「考えていないけど、今までやってきたことを土台にすれば何か仕事はあるんじゃないかな。テレビ局とか、用品メーカーとか、上場企業とかの偉い人も知っているし」 「吉川なよ子は、ただの人だよ」「・・・・・・」「あんたは今、こうして頑張っているからこそ、プロゴルファー吉川なよ子として輝いているんじゃないか。だから僕達は皆、なよちゃんと友達でいたいと思うんだよ。ここまで上り詰めた人間がただの人になってしまうのは、あまりにも淋しいな」 「・・・・・・」 この言葉は胸に響いた。私はたいそうな人間ではないが、トーナメントで活躍することによっていろいろな世界の方々と出会い、交流をもつことができた。そのなかで培ったものはゴルフに大きなプラスとなったし、人間的な肥やしにもなった。こうしたことを口ではゴルフのお陰と言いつつ、いつのまにか、私は自分の力だと思いこんでいたのだ。 「私はこの先、どこを歩いても吉川なよ子なのよ。ゴルフの世界をここまで極めたのだから、私の価値はゴルフをしてもしなくても変わらない。個人的なお付き合いも続いていく」そんなふうに私は信じてもいた。 しかし、塚本さんの忠告は鋭かった。「淋しいな」という言葉の裏には、「世の中そうはいかないよ。君がそれに気がつかないなんて思わなかったな。生きている限り自分を磨きつづけなければ、人間としての成長は止まってしまうものだ。まして、できるのにやらないというのでは魅力もないね」という意味がこめられていると思った。 私は、トーナメント活動をやめ、誰にも相手にしてもらえず年老いていく自分を想像して寒気を感じた。試合から帰ってマンションのドアを開けると、暗い部屋の隅に一人でぼーっと座っている自分のうしろ姿が見えるのではないか。言いようのない不安と恐怖に襲われた。これらを打ち消すには、やはり今をしっかり生きるしかない。私はやっと、一つの結論にたどり着いた。「本当に燃え尽きるまでゴルフを追い求めてみよう。ゴルフができなくなった時には、新たに打ちこむことのできる何かを見つけよう。常に自分を磨く努力をしていれば、吉川なよ子はいつまでも輝いていられるはずだ。よし、もう一度やるわ」 私は気力と体力を奮い起こした。トレーニングを再開し、ポイントを絞って練習をし、勝負勘を取り戻そうと頑張った。結果はすぐには出ないだろうが、二カ月、三ヶ月と時間をかければ、今シーズン中には去年と同じような状態に戻れるという目算があった。 とはいえ、一度切れてしまった気持をつなげることは容易ではなかった。想像をはるかに超えていた。初優勝をしてから賞金女王になるまでの十年間は、一年だけ除いて毎年必ず優勝していたのに、八九年はついに1勝もできずに終った。賞金ランキングは17位(2556万円)、平均ストロークは73.60へと転落した。 前の年にトップになった私が、ここまで急に落ちるとは、情けない気持でいっぱいになった。この原因は気力、体力の衰えに尽きる。気持と体がバラバラになってもがき苦しんでいる状態だ。けれども私はそのことを認めたくなかった。 「今まで頑張りすぎた疲れが出ているだけ。やり方を工夫すれば大丈夫、来年こそはまた上位を狙えるわよ」 そう自分に言い聞かせて、一生懸命に前を向こうと努力した。 九十年に入っても体のだるさは続いていた。よくなるどころか首の右側が腫れてきた。私は、「これは普通じゃない。いいよどこか異常やな」 と感じた。少し前に知り合いのお医者さんに首の腫れのことを話した際、 「一度、甲状腺を調べてもらった方がいいですよ」 と言われたのが引っかかっていた。 私はまず書店へ行き、甲状腺に関する本を買って読んでみることにした。読み進むうちに血の気が引いていくのが自分でもわかった。「私のことが書いてある!!私の体調は甲状腺の病気そのものだ」 という確信をつかんだためである。さらに本には、甲状腺がんという病気についても説明されていた。これ以上時間を無駄に費やしたら取り返しのつかないことになると考え、私は都心にある甲状腺の専門病院を受診した。 医師は検査結果を見て次のように説明した。「甲状腺は、甲状腺ホルモンを分泌する器官のことをいいます。のど仏のすぐ下にあり、蝶が羽をひろげたような形で気管にくっついているのが特徴です。ホルモンの主な働きは、体が常に一定の状態に保たれるようにエネルギー代謝を調節することなんですね。ところが、吉川さんの場合は『橋本病』といって、甲状腺に慢性の炎症が起こる病気になっていました。首の腫れは、おそらく炎症のためでしょう。この病気は甲状腺機能の低下を招くので、だるさ、むくみ、体重変化などの不快な症状が表れます。それを防ぐには、甲状腺機能がどれくらい落ちているかに応じ、薬を飲んで機能をコントロールすることです」 やはりそうだったのかという印象が強く、私は医師の話をわりと冷静に受け止められた。「がんではないですね?」「首の腫れは、おそらく炎症のためでしょう」 「病気の原因は何ですか?」「橋本病は自己免疫疾患のひとつですから、生まれつきの遺伝的要素が影響します」 「どうやって治療すればよいのでしょう」 「さきほど言ったように、甲状腺の機能をコントロールする薬を飲むことになります」「その薬を飲んだらどうなりますか」「甲状腺機能の数値を計りながら薬の量を調整していきます。あなたに合うまでには一ヶ月単位の時間がかかるでしょう。それまでは体調に変化が出ます。」 「もし薬をのまなかったらどうなるのですか?私はプロゴルファーなので、できれば体調の変化は避けたいのですが」 「今のところは薬を飲まなくてもいいでしょう。そのかわり、三〜四ヶ月に1回は検査を受けてください」 病気になったことはショックだったけれども、その半面、病名がわかって安心したところもあった。体調が悪いのは橋本病のせい。私が恐れていた最悪の病気ではなかった。それに薬を飲まなくてもいいということは、そんなにひどい状態ではない。胸の中にたち込めていたもやもやは薄れ、透明な空気で肺が満たされていく感じがした。 それまでにゴルフの世界で4億円近い賞金を得ていた私は、無意識のうちに自分を「皆とは違う人間」と錯覚していた部分がとこかにあったと思う。しかし病気をしてみると、当たり前だが病気の状態や体の変化に一喜一憂する普通の人間だったことを知った。 このことは精神的にプラスになった。九〇年のシーズン終盤に行われたイトーキクラッシック(長崎県・佐世保国際カントリー倶楽部)では、賞金女王になって以来二年ぶりに優勝。通算28勝目を挙げた。賞金ランキングも8位(4004万円)、平均ストローク73.47と盛り返し、来年はもっと活躍できるという手応えをつかんだ。 この時期、私の体調はやや落ち着いてきたような気がした。プロにとって、本当に成績は一番の薬なのだ。とはいえ、体のだるさやイライラなどが収まったわけではない。ちょこちょこ顔を出してはいたが、原因がわかっているぶん不快な症状に対して慣れっこになっていった。いま思うと、この慣れが、あとで体に起きる重大な変調を見逃すことになってしまったのかもしれない。 ゴルフの優勝争いをしているとき、ちょっとした歯車の狂いが致命傷になったり、逆にうまくかみ合えば素晴らしい結果につながるケースがあるが、病気もそれと同じ面があるような気がする。とすれば、その差は運?それとも何かほかの要因があるのだろうか。 その後しばらくは定期検査のため病院へ通ったが、とりたてて治療もしないので、二年ほどで通院をやめてしまった。そして、さらに二年ほど完全に体を放置し、九四年にがんが発見された。酸くなくとも八八年には自覚症状があったわけだから、橋本病と診断されるまでに二年、さらにがんと確定されるまでに四年(自覚症状から六年)もかかったことになる。 なぜもっと早く病院へ行かなかったのか、途中で通院をやめてしまったのか。私はこの点をいまだに悔いている。プロゴルファーとしての地位を守ることには真剣になったけれども、体にたいしてはその気持を忘れていた。 「私には精神力がある。それに体だって、ずっと鍛えてきたのだから、いざとなったら何とかなる。自分だけは大丈夫に違いない」 そんなふうに信じているうちに「これくらい」が「とんでもない」状態になってしまったのだ。なんと浅はかだったのだろう。いくら精神力がある人でも、またどんなスーパーマンでも、体を大切にしなければ活躍などできないなに・・・・・・。 後悔先に立たずとはありふれた表現だが、私はがんになって初めて健康の重みと、体をいたわることの大切さに気がついた。今はこの体がいとおしくてならない。 (一気に読みたい方は、ぜひご購入ください。) 「風はアゲンスト」 吉川なよ子著 発行所 毎日新聞社 ISBN4-620-31394-7(取り寄せ番号) |
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