| 3 マスコミと私 |
| 「お前、プレスにもっと愛想よくせえよ。『吉川さんにインタビューを断られてばかりで困ってますわ』って、雑誌社の人がこぼしとったぞ」 八九年、男女同時に開かれた試合会場でお会いした杉原輝雄さんは、開口一番こう言った。私は、同じ関西に住む大先輩に親しみを持っていた。ゴルファーならその存在感や実力をご存知だと思うが、私もプロゴルファーとして尊敬しているし相談に乗っていただいたこともある。 しかしこの時は、皆がいるところで突然このようにたしなめられて、ついカーッとしてしまった。 「私だって、できる範囲でやっていますよ。でも、それ以上のことを要求されてもできません。いくら去年は成績がよくたって、今年はどうなるかわからないじゃないですか。練習する時間を削るわけにはいかないし、休みだってとりたい。ただでさえ時間が足りないのに、無理してやれって言うんですか?」私は一気にまくし立ててしまった。杉原さんは少し驚いたようだったけれど、すべてを聞いてから静かに言った。「無理せえとは言わん。やっとるなら、それでええ。ただし自分は女子プロの代表なんだということを忘れたらあかん」 杉原さんが指していたのは、前年のオフから続いていたマスコミ各社からの取材申し込みのことだ。それに対する私の愛想、つまり対応の仕方はまずいのではないか、ということだった。 賞金女王を獲ったあと、私の元にはびっくりするほどの取材依頼が殺到した。新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、地方紙、ミニコミ誌・・・・・・こう言っては申し訳ないが、なかには聞いたこともない媒体やゴルフにまったく無縁のテーマを扱っているメディアからの依頼もたくさん舞い込んできた。初めのうちは、「さすがに賞金女王の注目度はすごいわ。それにしても、日本にはこんなにもたくさんの出版物があるのね」 などと感心していたのだが、実際に一つずつ検討していくといろいろな問題が出てきた。全てに応じることは物理的にまず不可能だし、なかには迷惑にちかい一方的な話もあった。 たとえば、今までに会ったこともない人が私の会社に電話をかけてきて、事務所で仕事をしている女性に自分勝手に交渉をしようとする。 「吉川なよ子さん、いますか?」「恐れ入りますが、どちら様でしょうか」「A社のBです」「あいにく外出中ですが、どのようなご用件でしょうか」「外出?困ったなあ。今週中にインタビューをしたいので、東京の我が社まで来ていただきたいんですよ。一時間もあれば終りますから。あとでお電話いただけます?」 「お手数ですが、インタビューの使用目的、テーマ、所要時間、希望日時などをまとめた取材申し込み書をファクシミリでお送りください。内容を検討したうえ、後日こちらからご連絡します。ただ、現在のところたくさんの申し込みをいただいておりまし・・・・・・」 「いや、うちは今週中にお願いしたいんですよ」 「週末までラウンドと仕事の予定が入っておりますので、今週は難しいかと・・・・・・」 「吉川さん、うちのC専務をご存知だと思うんですがね。Cから連絡させましょうか?」 「いずれにしましても今日は戻りが遅くなりますので、明日ご連絡いただけますか」 「なんか御大層だなあ。じゃあ、また明日」 あとで報告を受けて思い出そうとしたものの、私はBさんと面識がないだけでなく、Cさんの顔も思い浮かばなかった。翌日事務所の女性に、Bさんから電話があったら一ヵ月後なら検討するが、それ以外は丁重にお断りするよう伝えて外出した。しかし、夜まで待ってもついに電話はかかってこなかったという。 これは例外にしても、すべての取材を受けていたら、それこそ振り回されてしまう。いくら時間があっても足りない。この状況に戸惑った私は会社のものと頭をひねり、 「各社一回だけ取材に応じます。複数のご希望は社内で調整して下さい」 というお願いを出した。それでも相手は一回だけインタビューをすればよいが、受ける方の私は数十回は同じ質問をされた。 話が長くなってしまったが、そういう事情を知らない顔見知りのゴルフ記者たちから、 「今まで何かと吉川プロの記事を書いてきたのに、賞金女王になったとたんにインタビューを断られた」という不満がもれ、杉原さんの耳に入ったのだろう。 ひとつ言い訳をさせていただくと、あのころ私がとった言動は、やはり甲状腺の病気がずいぶん影響していた。 常に体のだるさがついて回ったり情緒不安定になりやすかったのだ。不調の原因がわからないからよけいに苛立つ。甲状腺の病気や大きな病気を経験したことのない人には永遠にただの言い訳に聞こえるのかもしれないが、このもどかしさは一層それらを募らせた。 そんなときに大勢の人に囲まれてカメラやマイクを向けられるのには、かなりエネルギーを消耗した。ギャラリーの前でゴルフをするのとは全く違う緊張をした。ただでさえほてりやすい顔にライトを当てられると、だんだん笑顔が消えて受け答えもぶっきらぼうになり、本当に愛想が悪くなってしまう。 インタビューの途中で体温のコントロールができなくなり、足の裏が熱くなってどうしようもない思いをしたこともある。そのときは我慢できずに密かにハイヒールをぬいで耐えたが、同じ姿勢でじっとしているのが苦痛になって何度も足を組み替えたり、手にしたハンカチを握り締めたり、足の指を動かしたこともあった。このような経験をしてからインタビューが苦痛になったことは確かだ。 それにしても、杉原さんに口答えしてしまったのは失礼だった。あの時もう少し余裕があれば、こんなふうに答えたかった。 「実はオフに取材依頼が何十本もきて困ってしまったので、仕方なく各社一回にしてもらったんですよ。それでも東京や大阪には何度も行って来ました。私の場合、取材の約束が増えると練習やお休みの時間がうまくとれないんですが、杉原さんはどのように対応されていますか?」 これなら杉原さんは私の状態をわかってくれたと思う。何かいいアドバイスもしてくれたのではないだろうか。お互いに後味の悪い思いをすることはなかったはずだ。 しかし、以前の私は物事をやわらかく言うことが苦手だった。それ以上に言い訳がましいことは絶対に言いたくなかった。人間的な経験が浅い半面、プロとしてのプライドは高く、ちょっと扱いにくい性格だったと思う。 「私はこう思っているからこうしました。何が悪いんですか?気に入らないなら納得していただかなくて結構です」 その調子で話してしまうことがあった。自分に正直ともいえるが、あまりにも直線的すぎて周囲の人とぶつかったり誤解されたりすることも多かった。 もともと私は、マスコミ関係者からいい印象を持たれていなかった。むしろ反対のタイプの選手として恐れられていたのを知っている。私がプレー後にボールを打っていると、記者やカメラマンたちが後ろのほうに集まって、「吉川には近寄れないな。練習中に声をかけたら怒鳴られそうだよ」「おい、誰が聞きに行く?」 と言っているのが聞こえてきたこともある。 しかし、私は何を言われても気にしないと割り切っていた。自分の仕事はマスコミ受けしようと努力することではなく、ゴルフをしっかりやって結果を出すことと思っていたからだ。 まず、日々のスケジュールを優先させたうえで取材に応じ、自分の考えを大切にした。記者の人は仕事だから時間に追われているだろうし、ほしい答えがあるのもわかる。といって、こちらもそれに合わせて適当なことを話しておく、というのはしたくなかったのだ。そのせいかどうか、まとめられた記事が私の考えと違うこともあった。 きちんとしたテーマで取材を申し込んでくれれば改めて時間をとったし、約束をした以上は質問に対して一生懸命こたえたのだが、概してそういうスタンスがわがままに見えたり生意気にとられたりしたのだろう。 こうなってしまったのには、今だから言える大きな理由がある。 やや専門的な話になるが、私のスイングはプロになってからしだいにオーバースイングになっていった。オーバースイングで注意すべきなのは、バックスイングで右股関節が伸び上がり、腰がどこまでも回ってしまうことだ。これでは軸が流れてスイングは安定しない。私もスイングリズムが狂うとこうなりやすいので、チェックはしていた。 ただ私の場合、ふだんは腰の回転があるところで止まり、手だけがさらに上へあがっていくタイプのスイングだった。背骨の軸がぶれなければ手がどこに上がろうと本当のオーバースイングとは言わないし、直す必要もない。このように考えるようになったのは、米ツアーへ行って、見た目のよし悪しよりも結果を出せるスイングの重要性を痛感したからである。 ところが、当時のゴルフ雑誌はよく私のスイングを取り上げ、連続写真とともに解説を載せていた。記事を読んでみると、会ったこともないプロが私のスイングを批判していることがほとんどで、これには抵抗を感じた。 「このオーバースイングはいただけない。今はなんとか勝っているが、手がここまで上がるのを直さなければ、いずれ通用しなくなるだろう」 このように見た目の形を批判されるのは、違うような気がした。 私には昔からゴルフの先生はおらず、自分が作り上げたスイングで結果を出している、という自負があった。けれども、自分のスイングは完璧だとか、結果を出しているからこれでいいと思ったことは一度もない。むしろ、自分のスイングは、ちっともいいとは思っていなかった。だからこそ少しでもオーソドックスでいいスイングに変えていきたいと思い、日ごろからチェックを繰り返したりトレーニングをしてきたのだ。常にスイングをよくしようとする気持は、当時も今も少しも変わっていない。 その気持で努力した甲斐があり、結果を出すことができた。賞金女王にもなれた。ということは、私のスイングにも長所があったのだろう。それはどこなのか、自分自身もわからない長所をスイング解説のなかでみ見つけてもらえなかったのは残念なことだった。 ゴルフスイングには個性がある。体型体格、筋肉のつき方、力の強さ、体の柔軟性など、あらゆる要素が合わさってその人のスイングになるのだから、個性があって当たり前。個性を生かしながら少しでもスイングをよくするには、そこに至る過程やこれから目指すものも大切になる。 たとえば、仲間のスイング写真を見たとき、実際のスイングを知っている私は、「下半身を強化しただけあって、土台がしっかりしてきたみたい。でも、このバックスイングをしているということはスイング軌道に悩んでいるな。目指しているスイングに近づくには、もう少し時間がかかりそう」と、そのスイングの原因や背景がわかる。しかし、それを無視してうわべの形だけで、「これはきれいだからいい、こちらの形はよくない」 などと批判するのには納得できなかったのだ。 それ以来、トーナメントの練習日などに顔見知りのカメラマンから連続写真を撮らせてほしいといわれても、どうしても応じられなくなった。 「私のスイングはいいわよ。もっときれいなスイングの人を撮った方がいいでしょう?」 何回か遠まわしに断ったことで、私は彼らの間でしだいに「有名人」になった。 カメラマンも記者も仕事でトーナメント会場までやってきて、目的の写真や話がとれなかったら困るだろう。私としては、もちろん意地悪をしようとしていたわけではないのに、結果的に誰かにいやな思いをさせてしまったことは今でも心残りだ。でも、残念ながら三十代の頃の私には、自分のゴルフが一番大切で人の立場を考える余裕はまったくなかった。 しだいに連続写真を撮りにくるカメラマンは少なくなり、私自身ゴルフ雑誌をあまり読まなくなってしまった。師匠について教わった経験のない私にとってゴルフ雑誌はゴルフを始めてからずっと先生のような存在だったのに、それを読みたくなくなってしまったのは淋しいことだった。 マスコミとは、こうしたささいな衝突をしたけれども、今ならあんなことにはならないだろう。そう思えるのは、やはり病気を克服してから感謝する気持が芽生えたからだ。トーナメントは選手だけで動いているのではない。そこに携わるすべての人たちが、それぞれの事情をかかえながら一生懸命働いているからこそ成り立っている。せめて私は、できるだけいい気分で皆が仕事を進められたらいいと思う。 それには、まず一人ひとりが自分の持ちぶんでしっかり働いて、その領域のプロになること。さまざまな世界のプロが集まって知識と経験を出し合えば、さらに新しいアイデアが生まれ、きっといい仕事ができるだろう。それが現場の楽しさではないか。今になって気がついても遅いかもしれない。でも、プロとマスコミ両者の求めるものがわかった今だからこそ、私の失敗をこれからの人たちに大いに参考にしていただきたいと思う。 どんなにハイテク化が進んでも、世の中はやはり人間と人間とのおつき合いが基本であることに変わりはない。それを大切にしなければ能力を生かすことはできないし、人間としての成長も止まってしまう。 私は一ゴルファーとして、ときには一患者として、これからも多くの人に接していくだろうが、その中で小さな楽しみを見つけながら毎日を地道に過ごしたい。もしも疲れて笑顔を忘れてしまったら、明るい気持で、自分自身にこう声をかけよう。 「お前、みんなにもっと愛想よくせえよ」 |
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