5 リハビリと復活
「握力は左右とも二十キロ以下、以前の半分近くですね。そのほかの数値も同じような傾向で、かなり落ちています。今の吉川さんの総合的な体力は、四十代の一般女性のレベルです。」
手術のあとに行った体力測定の結果をみて、トレーナーはこう分析した。
 術後一週間あまりで徐々にトレーニングを再開した私は、九四年十月六日から福岡にあるスポーツジムで二週間のリハビリトレーニングにのぞんだ。このジムには、賞金女王を目指しはじめたころから、プロ仲間の原田佳子さんの紹介でお世話になっていた。信頼できるトレーナーがいるし、地元に住む原田さんが時間の許す限りリハビリにおつき合いしてくれるというのも心強かったので、退院して十日後に飛んでいったのだ。

 体力測定は、その初日に行ったものだ。手術前の私は二十代前半のレベルの体力をずっとキープしていたのに、やはり体にメスを入れるというのは大変な負担になることを実感した。しかし、落ち込むことはなく、「私もこれで普通のおばさん。でも普通の人の体力なら、よしとしなきゃ。とにかく二週間で、できるだけ体力をつけていこう」と、前向きな気持で体力測定の結果をとらえた。今は普通のおばさんの体力だって気にしない。トレーニングを始められるようになっただけでもありがたいと思った。

 ここで指導してもらったメニューをいくつかご紹介してみよう。
 *午前 ジョギング900メートル・歩行900メートル(交互に2回ずつ)
   ストレッチ、ジャンプ・ステップ・ひねり歩き・横とび  
 *午後 自転車 40分
   マシーン 40種   
   手足の交互上げ   
   スライドとび 100回   
   プール歩行 500メートル
 *午前 歩行・ジョギング 40分   
   ストレッチ   
   四股踏み 50回   
   50メートルダッシュ 5回   
   部屋でストレッチ 20分
 *午後 マシーン全部 2セット   
   腹筋・背筋・手足の交互上げ 50回   
   腕横開き(1キロのダンベルで) 20回   
   自転車 40分   
   ストレッチ   
   プール歩行 500メートル

 負担の少ないメニューから少しずつハードなメニューへ体調に応じて無理なく計画的に増やしていくことと、サウナ、マッサージ、はりを用いて体をケアしながら行うことを心がけた。
 とにかく日程の前半では、「普通のおばさん」から「ゴルファー」へ、さらに「トーナメントプロ」として最低限のことができるまでの体力を取り戻さなければいけない。体を動かせるって楽しい、という気持をベースにもちつつ、日に日に顔つきは締まっていった。
 後半になると、夜須高原カントリークラブでボールを打たせてもらった。初めは午前中だけ軽くボールを打ち、アプローチとパットの練習をして、午後はジムでトレーニング。
 ある程度クラブを振れるようになった頃には、午前中はハーフラウンド、午後は練習場でボールを打ち、その後ジムに戻ってトレーニングというふうに、実践の感覚を取り戻すことにポイントを置いた。ここまでくるとシーズン中に張るミニキャンプのスケジュールとほとんど同じになった。

 クラブを実際にグリップしてゆっくりと素振りをしたときは、さすがに嬉しかった。もちろん以前のスイングのようなスムーズさやテンポ、クラブヘッドの走りなどを期待していたわけではないが、体そのものは久しぶりの回転動作に素直に応じてくれるだろうかと思った。
 ところが、まだ全力でクラブを振っているわけではないから何とも言えないものの、私は、バックスイングでクラブを振り上げるときに右側の首筋にピリッとした痛みが走るのをすぐに感じ取った。それを無視していつものトップまで手を上げようとしても、神経や筋肉がピーンと突っぱってしまい、痛くて上げることができない。
「手術をすると、こんなにも体は変わってしまうものなの?やはり以前のようなゴルフをするのは無理なのかも」これにはがっかりしてしまった。

 でも、一方では、かつての体力や技術は、はじめから私にはなかったものと思った方がいいような気もした。それよりも新しい体に合うゴルフを作り上げていくことが大切なのだから、試合に出られるまでの状態にするのは厳しくても、前のスイングにこだわらず、今の私にできることを一つずつ積み重ねていこうとも思い直した。
 そういう気持で練習をしているうち、一つのコツがつかめてきた。話は少し技術的なことになるが、以前のようにバックスイングを高く上げようとすると痛みが走るので、痛くならないところで止めてみた。いろいろ試すうち、手を肩のあたりまで上げるつもりなら痛みは感じないことがわかった。実際は勢いがあるぶん手はもっと上へいくのだが、それを含めてバックスイングを痛くないところまでで抑えるようにした。

 意外なことに、これはけがの功名だった。「痛くならないところ=肩のあたりで手を止める=きれいなトップ」になったからだ。私の意に反してずっと前から指摘されていたオーバースイングは、すっかり消えてしまったのだ。
 だからといって、ボールの飛距離が落ちるわけではない。むしろ手元をコンパクトに振った方がクラブヘッドにスピードがつき、ボールはより遠くへ飛んだ。リハビリ中はまだここまでの確信をつかめたわけではないが、年齢のほかに、クラブやボールがどんどんよくなっていることを考えると、この時期にスイングを転換したのはよかったとも思う。
 あとになって、私のスイングをよく知っている友人の吉羽祐輔さんたちとゴルフをしたとき、「なよちゃんが、あのオーバースイングを直すとはね。手術のとき、サイボーグのように精密機械でも体に埋め込んだの?」と冗談を言われたりした。手術の前と後とでは、それほどスイングが違ってしまった。

 まだ本調子ではないものの、なんとか試合に出られると思えたのは計画通りだったが、こんなに早く回復するとは信じられなかった。永原先生も「比較的早かったですね。筋力、運動能力は手術前のレベルを維持できていますから、なにも問題はありませんよ。ただし、無理だけはしないようにして下さい」

 私の回復ぶりに驚きつつ、今後のトーナメント活動に太鼓判を押してくださった。
 この二〜三週間、私はリハビリトレーニングを通していろいろな気持を味わった。体を動かせる喜び、ゴルフができる幸せ、周りの人への感謝の気持があったからこそ、少々つらくてもトレーニングをやり通すことができた。そして、私をがんから立ち直らせてくれる原動力になったのではないかと思っている。
 手術から一ヶ月半後の十月二十八日。日米対抗戦のニチレイインターナショナル(茨城県・阿見ゴルフクラブ)で、私は六週間ぶりにトーナメントへ復帰した。
 残暑の厳しい時期にツアーを離れたのに、いまはもう終盤戦。ゴルフコースでは芝の状態や風の吹き方が晩秋特有のものになっていて、改めて病気をしたブランクを感じた。といっても、ふたたび試合のコースに立てた喜びの方がずっと大きかった。
 試合の第一日目、1番のティーグラウンドに上がった時はそれらの気持がごちゃまぜになって、心臓がドキドキした。そして、ティーショットを無事に打ち終えセカンド地点まで歩いて行くあいだ、私はかつてプレー中に経験したことがない幸福感を味わった。
 「またゴルフができるようになったんだわ、試合に戻れたんだわ。あきらめずにリハビリをしてきて、本当によかった。ゴルフができるって、なんて幸せなことなんだろう・・・・・・」
 感動を噛みしめているうちに涙があふれてしまった。私はゴルフを続けるかぎり、このときの涙の温かさを決して忘れないだろう。
 これを皮切りに、翌週の東レジャパンから最終戦のミズノレディースまで5試合に出場した。スイングにはもう一つ満足できなかったが、現状のなかでは精一杯やった。そのぶんメンタル面は最高の状態をキープすることができたように思う。
 これはリハビリをしていて気がついたことだが、同じことをするにも「しかたがないからやる」のと「楽しいからやる」のとでは、気持ひとつの差でも結果は大きく違ってくる。がんの告知からはじまって手術とリハビリを越えてきた私には、ゴルフを楽しいと思う気持はひとしおだった。これが以前の私にプラスされ、いい結果に結びついたのだろう。

 東レジャパン       11位タイ
 伊藤園レディス      3位
 エリエール女子オープン  2位
 明治乳業カップ      13位タイ
 ミズノレディース     2位タイ

 東レジャパンでは日本人選手で最高位、5試合の平均順位は6位。まさか終盤のビッグトーナメントでここまでやれるとは・・・・・・。予想以上の成績には自分でもびっくりした。
 この追い上げがきいて、九四年は賞金ランキング11位(4313万円)、平均ストローク73.08でフィニッシュ。いろいろなことがありすぎる一年だったが、いい締めくくり方ができたことに満足した。
 これほどの成績を残せた理由は、何度も言うように「ゴルフができる幸せ」を心の底から知ったことにあると思う。だからゴルフが楽しくて、一打一打が大事に思えて、プレーに一生懸命になれた。また歯車がうまくかみ合ったのは、運がよかったという面もある。
 いずれにしても私は、以前のように、「いい成績を出せたのは私の努力の成果なのよ」とは思っていなかった。もちろん努力はしたけれど、それができたのは、たくさんの人たちが私を助けてくれたからだ。周りの人たちの親切があって初めて、努力することができたと思っている。改めて感謝の気持でいっぱいになった。

 翌九五年三月十九日、熊本県高遊原カントリークラブで再春館レディース最終日が行われた。この日、3位タイでスタートした私は、アウトを33で回ってトップに躍り出た。久しぶりの優勝争いのなかで、私は慎重かつ冷静なプレーを心がけようと思った。
 ところが15番ホールからショットが乱れ、私は第1打をグリーンの右に外し、ピンまで約20メートルの第2打をショート。打ち方はうまくいったのに距離感が合わなかったのだ。
 そこで、気を取り直したつもりで3打目を打ったのだが、なんと「ザックリ」のミス。打球はグリーンに乗っただけという、アプローチが身上の私にとってはとてもいやな失敗をしてしまった。実はこの3打目は、手術によって自分の体が変わってしまったことを、はっきりと認識したショットだった。
 私は以前から、プレッシャーがかかったことを想定してショットの練習をしていた。優勝争いになれば、どんなに百戦錬磨の人間でもガチガチに体が固まって手が動かなくなり、ミスを起こしやすくなる。これを克服するには緊張を取り除くのではなく、むしろプレッシャーは当たり前として、極限状態に追い込まれたときでもスムーズに手が動くスイングを身につけておくことが大切だと考えているからだ。

 そこで、初めから腕や肩や体中に力を入れてボールを打つ練習をとり入れた。ショット、アプローチ、パット、すべてのストロークを思い切り力んだ状態で打つのだ。この練習を常にしていれば、どんな時でも手は動く。むしろ、緊張した時の方がしっかりとボールをつかまえることができるので、いい結果につながることも多い。こうした練習によって、緊張のなかでのショットは私の最も得意とするところとなったのだが、手術をしてからはそれができなくなった。

 こうなった直接的な原因は、プレッシャーがかかると首に負担がくることだった。たとえば、車の運転をする人なら誰しも、交差点で子供が飛び出してきたり、前の車が急ブレーキをかけたりして、ハッとする場面にでくわした覚えがあると思う。そういう時は「グッ」と心臓をつかまれたような感じがする。人によっては「ビリビリッ」と全身に電気が走ったような感じがするかもしれない。
 私の場合、プレッシャー下のショットのときに、それに似た「ビリビリッ」という衝撃が首の右側に走るようになった。初めてこれを体験したときは、スイングの拍子で手術の傷口が裂けたのかと、慌てて首に手を当てるほどびっくりしたものだ。
 一度これを経験すると、ショットの時に力を入れるのが怖くなる。だから普段の練習ではあまりしない。いざという時には力を入れるが、どこかで「ビリビリッ」を恐れているから手が動かない。ヘッドも走らないのでボールはつかまらないし、コントロールも狂う。極端なダフリや引っかけが出るようになったのも事実だ。

 話を試合に戻すと、結局、17番ホールは3オン2パットのダブルボギー。私は通算イーブンパーにスコアを落とし、具玉姫さんと並んだ。大詰めへきてからのダボは痛恨といっていい。
 しかし、私はかえって楽になった。 「まだチャンスはある。さあ、今からがスタートよ」追われる苦しさがすうっと消え、気持を切り替えることができたのだ。
 私と具さんは通算イーブンのままホールアウトし、勝負はプレーオフに持ち込まれた。五年ぶりのプレーオフでは、不思議なくらい気負いがなかった。むしろ、「こんな大舞台でプレーができるなんて嬉しい!!」
 と単純にゴルフを楽しむ気持になっていた。プレーオフは18番、474ヤードのパー5で行われた。このホールのカギを握るのは、セカンドショットだ。
 というのは、グリーンの右手前50ヤードと左手前60ヤードの位置には、二つの難しいバンカーがある。どちらのバンカーに入っても、通常のバンカーショットの打ち方ではグリーンに届かないし、フェアウェーからの打ち方だと大きくオーバーする可能性がある。距離だけで考えれば2オンを狙えるホールだが、バンカーだけは絶対に避けなければいけない。

 私は、第2打の狙いをバンカーとバンカーの間に定めた。そして5番ウッドで打ったボールは、イメージどおり軽く右に切れながら飛び、フェアウェーのど真ん中に落ちた。
 一方、具さんはバンカーを警戒して短いクラブを手にした。そのようすを離れたところから見ていた私は、「えっ、ショートアイアン?これで私は勝った」と思った。
 バンカーを避けるのは当然にしても、刻みすぎてしまうと今度はグリーンに対して打ち上げになるので、3打目の距離感がむずかしくなるからだ。具さんの打球は、運悪く右のラフへ飛んでいった。ここはかなりライが悪く打ちにくい場所。バンカーと同じように「行ってはいけない」ところだった。具さんの3打目はラフ特有のフライヤーになってグリーンをオーバー。これが寄らず入らずで、結果的にボギーを打った。
 具さんのサードショットを見た私は、自分の3打目を絶好のポジションからピンの左3メートルにつけた。そして最後は左カップいっぱいから右へ曲がるスライスラインをしっかり沈め、ウイニングパットをバーディで飾ったのだ。
 五年ぶりの優勝、プレーオフを戦っての優勝、がんを克服しての優勝・・・・・・。この優勝にはいくつもの意義があった。手術後こんなに早く勝てるとは思っていなかっただけに、喜びは格別だった。

 がんになってから精神的にも肉体的にも、かなりつらい思いをした。それでも皆に支えられながらここまでまけずにやってきた私へのご褒美のような気がした。
 それだけではない。この優勝を加えて通算優勝数は「29」になり、あと1勝すれば私は永久シード選手の仲間入りをする。これまでにもたくさんの評価や名誉をいただいてきたが、ツアー選手にとって永久シードは、これ以上はないくらいの栄誉だと思う。
 四十六歳にしてついに、それに王手をかけたのだ。
 しかし、ここで結果を言ってしまうと、九九年九月現在、私の優勝数は「29」のまま。自分では、あの優勝からもう四年もたったの?というのが偽らざる気持だ。当時は、なんとかこの勢いでと思ったけれど、世の中そんなにうまくはいかない。また時間がたつほど体調の変化もわかってきた。年齢的にいって体の変わり目ということもあるかもしれない。

 今日まで何度も優勝のチャンスはあったのに、もうひとつのところで届かないという歯がゆい日々を送っている。さらにがんとの戦いには、実はまだ続きがあった。
 そう考えると「あと1勝すれば」という条件は、王手をかけているにしては、とてつもなく大きなカベのように見える。
 29勝目は、私にとって本当にご褒美だったのだろうか?それとも新たに与えられた試練なのだろうか?これについては、いまだに答えを出せずにいる。
目次ページ